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田原 唯之|TAHARA Tadayuki

2019

昨年久方ぶりにこの地を訪れた際、閉口したばかりの小学校校庭の片隅に転がる古めかしい煉瓦ブロックに目が止まった。地元の人に話を聞いたところ、この小学校の敷地には大正8年から昭和2年まで関東化粧煉瓦株式会社(Kantou Kesyou)という会社の煉瓦工場があったという。というのもこの小砂地区は古くから陶芸の里としての営みがあり、江戸時代末期には、水戸藩が鉄製大砲を造る反射炉建設の為の耐火煉瓦の陶土を産出していたという歴史がある。そしてこの良質な陶土の産出地であるということが、煉瓦工場が建設されることになった理由とのことだ。近代化に伴う都市整備によって舗装煉瓦の需要が増大し、それに応える形でこの小砂で製造された煉瓦が、銀座一体の道路舗装に使用されていたらしい。
しかし流通の便が悪く、わずか8年程で工場は閉鎖し、跡地であるこの地に学校の校舎が建てられたのだが、銀座に運ばれなかった煉瓦の大部分はこの建設工事の最中、地中に埋められ、その内の幾つかがある時偶然にも地上に出てきたのではないかという。

こうした近代化に伴う営みは、諸外国との交流が本格的になる江戸時代末期から始まり、それは様々な文化や技術、思想などの流入と、それに伴う人や物資の移動の歴史といえる。そしてこうした移動の一つに、本来意図していなかった数多くの植物の流入が挙げられる。そしてこれら偶然の流入の産物としての植物たちは新帰化植物と名付けられた。港や貨物集積所などに侵入してきたこれら新帰化植物は、驚くべき繁殖力を持って全国へと広がっていき、その多くは都市化によってできた人工的な裸地にに根付くようになる。この新帰化植物の中で、2000年以降に爆発的に拡散し、東京はもちろんこの里山集落である小砂地区でも数多く見られるているものの一つに“ナガミヒナゲシ(長実雛芥子)”がある。

近代化の波に揺れ動く明治40年、夏目漱石は教職を辞めて職業作家としての第一作目の小説“虞美人草(グビジンソウ)”を発表した。この小説では「自我に目ざめた新しいタイプの女性=藤尾」と「おとなしく控えめで古風なタイプの女性=小夜子」と「その間で揺れる一人の男性=小野」の3人の人物を中心に話が進む。近代化による社会の変容と、それに伴って人々の内面に引き起こされる利己と道義の相克。それらが博覧会という近代化の見本市のような場を舞台に描かれている。
そしてこの“虞美人草”という名前、これは“ヒナゲシ”の漢名である。

自然がもつエントロピーの増大を可能な限り抑えようとすることを目指してきた近代化の歴史。自然の土を加工し、自然の大地を覆うという舗装煉瓦のあり方は、その製造方法も目的もまさにこの近代化を象徴しているといえるだろう。
しかし当然のことながら、自然は自然のリズムで流れている。

校庭の片隅に転がっていた煉瓦は、銀座に運ばれ舗装されるという人の社会のリズムからは忘却されながら、だからといって産出した山の土に同化するように煉瓦としての姿を消失することもなく、およそ100年の歳月をそれとは異なるリズムの中で流れてきた。
それは煉瓦として成形されることはなかったその他多くの土のそれともまた異なるものであり、むしろ、近代化の只中に思いがけず日本へ迷い込み、その後都市の舗装された道路の隙間から顔を覗かせることとなった新帰化植物のそれと似通っているように感じられる。

“人の社会のリズム”とも、また剥き出しの“自然のリズム”とも異なる、もう一つのリズム。
それは、どこかで分岐しながらも並走を続けている“人の社会”と“自然”という二つの流れが交錯した時に生まれるリズムなのではないだろうか。

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