制作メモ / 瀬川 辰馬「地上と地層の狭間で」

2014 制作メモ / memo

陶芸とはなにかを簡潔に説明しようとすれば、この四文字で事足りるのではないかと思う。

「土を焼く」

身も蓋もないくらいに、シンプルな作業だ。
けれど、「土」とはなにかについてすこし考えはじめた途端に、その作業はとてつもなく大きな広がりを持ち始める。

土ははじめから、土としてこの世に存在していた訳ではない。

岩石の塊が風化し、土となり。
枯れた木々が腐敗し、土となり。
息絶えた生物たちが分解され、土となり。

なにものかが朽ちて、土に成り果てたのだ。
かたちあるものたちが砕け、散り、折り重なったもの。
私たちはそれを「地層」とひとくくりにして呼ぶほかない。

私たちが暮らす現代の地上も、やがては地層へと成り果てるのだろう。

そのことを強く実感させられたのが、はじめて小砂の山を歩きまわったときに出会った、ひとつの冷蔵庫だった。
豊かな緑のなかにぽつんと打ち棄てられたその冷蔵庫は、ぼろぼろに風化し、半分は土に飲み込まれていた。

そうか。こんな電化製品にしたって、行き着く先は土か。
美しい自然と、朽ちかけた冷蔵庫の奇妙な調和に、そう心を動かされたのを覚えている。

自然物と人工物。そういった対立のさせ方は、余りに刹那的なものだ。
この冷蔵庫も、やがては小砂の地層の一部となる。
そしてそれは当然“土を焼く”といったときにそこに含まれ得るものだろう。そう感じた。

小砂の地を歩きまわり、打ち棄てられた廃品たちを回収することから作業は始まった。

冷蔵庫、テレビ、トースター、扇風機、ストーブ

もちろん決して多くの廃品が転がっている訳ではないが、稀に出会うそれらの廃品たちを見つけては持ち帰り、ひとつひとつ細かく砕いていく。
粉砕することで、釉薬の着色剤として器に溶かしこむことが出来るのではないか、そう考えたのだ。

廃品たちも、結局は様々な無機物を練り固めたものに過ぎない。
それを釉薬に混ぜ合わせて焼けば、その廃品でしか出ない色彩というものが必ず出てくるはずだ。
冷蔵庫には、冷蔵庫の色が。テレビには、テレビの色が。

テストピースを窯から出して、思わず息を飲んだ。
摂氏にして1200度を超える高温によって、陶土とひとつに溶け合ったそれらの廃品たちのすがたは、想像を遥かに超えて鮮やかなものだった。

小砂の現代の地層から生まれた、この極彩色たち。

奇しくもこの地に伝わる小砂焼の器が、その華やかな金結晶釉で知られることを思い出しながら。
この釉を用いて器をつくろう。そう、思った。

 

陶芸家 瀬川 辰馬

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